![]() |
|
|
基衡が建立したと言われ、『吾妻鏡』の文治5年9月17日条の平泉寺塔以下注文にも記されている建物です。今、講堂跡と伝えられる遺跡は、大泉池の北方、金堂円隆寺跡の西北方、嘉祥寺跡の東北方にあって、東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形の土壇です。壇上には十数個の礎石があり、土壇中央部のやや北寄りには仏壇跡と思われる小高い土の隆起があります。 この基壇上に建てられていた堂は、前面の庇柱筋が金堂円隆寺の北面の柱筋とほぼ一直線上にあり、講堂が金堂と密接な関係を持っていたことがわかります。金堂と一体的に計画され造営されたものと考えられます。 |
|